松田聖子に河合奈保子、中森明菜、小泉今日子、菊池桃子、薬師丸ひろ子……。『あまちゃん』でも描かれ、今、改めて脚光を浴びている80年代の芸能界。それは“アイドル黄金時代”と呼ばれた時代だ。
当時、どれだけアイドルの人気があったのか? そのひとつの基準になるのが、若者に大きな影響力を持っていた歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)の登場回数だろう。
毎週木曜日の21:00から生放送されていた『ザ・ベストテン』は、最高視聴率41.9%を記録したこともある国民的歌番組。この『ザ・ベストテン』に出演することが人気のバロメーターだった。
では、80年代前半の登場回数トップ3を見てみよう(※すべて本誌調べ)。
●1980年……松田聖子(20回)、三原順子(7回)、岩崎良美(2回)
●1981年……松田聖子(40回)、河合奈保子(15回)、伊藤つかさ(7回)
●1982年……松田聖子(39回)、河合奈保子(24回)、柏原よしえ(17回)
●1983年……松田聖子(41回)、中森明菜(41回)、河合奈保子(25回)
●1984年……松田聖子(37回)、中森明菜(37回)、小泉今日子(29回)
●1985年……中森明菜(39回)、菊池桃子(22回)、小泉今日子(19回)
なんといっても、松田聖子の女王っぷりがスゴい。「アイドル黄金時代は松田聖子のデビューによって始まった」といわれるように、1980年7月に発売された2枚目のシングル『青い珊瑚礁』が3週連続1位を獲得、その次の作品『風は秋色』も4週連続第1位と立て続けにトップを獲った。
そこに待ったをかけたのが、“花の82年組”の代表である中森明菜。1982年12月から1983年2月にかけて『セカンドラブ』が8週連続第1位を獲得。また、3月から5月にかけて『1/2の神話』が7週連続1位。さらに『禁区』が6週連続1位を獲った。
そこから聖子&明菜による首位争いのデッドヒートが始まったが、1984年には小泉今日子が『迷宮のアンドローラ』や『ヤマトナデシコ七変化』で1位を獲得。一気に登場回数トップ3にまで上り詰めた。
また、堀ちえみがドラマ『スチュワーデス物語』で大ブレイク。加えて84年デビューの菊池桃子や荻野目洋子らの新人も注目されて、この時期、80年代前半デビューのアイドルたちは絶頂期を迎えた。
そして1985年以降は、おニャン子クラブが台頭。社会現象にもなるほどのブームを巻き起こし、1988年にはついに中森明菜を抑えて工藤静香が年間シングル売り上げ6位にランクインするなど、80年代後半のアイドル業界は“おニャン子一色”という状態になった。
ちなみに1989年の『ザ・ベストテン』登場回数トップ3は、Wink(34回)、中山美穂(23回)、工藤静香(23回)。10年経っても、まだまだアイドル黄金時代は続いている。
若い世代にはピンと来ないかもしれないが、80年代のアイドル界は、現在に負けず劣らず激しい“アイドル戦国時代”だったのだ。
(取材/村上隆保、浜野清史)
■週刊プレイボーイ50号「16ページ特集 80年代アイドル総選挙」より 【関連記事】
・80年代トップアイドル・南野陽子が語る“アイドルの法則”「何ごとも“等身大”ではうまくいかない」
・“20世紀最後のアイドル”高橋由美子が語るアイドル論「『脱アイドル』なんて言わなくても、時代はどんどん変わっていく」
・若手トップ女優・橋本愛「私が清廉な美少女というのは、まったくもって間違いです」
・三賢人が選定! 2012-2013アイドルソング神曲ベスト10
・Tehuの「残念ながら、アイドルヲタです。」第9回:アイドルが人気になる過程を、スティーブ・ジョブズの復活劇から考えた
当時、どれだけアイドルの人気があったのか? そのひとつの基準になるのが、若者に大きな影響力を持っていた歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)の登場回数だろう。
毎週木曜日の21:00から生放送されていた『ザ・ベストテン』は、最高視聴率41.9%を記録したこともある国民的歌番組。この『ザ・ベストテン』に出演することが人気のバロメーターだった。
では、80年代前半の登場回数トップ3を見てみよう(※すべて本誌調べ)。
●1980年……松田聖子(20回)、三原順子(7回)、岩崎良美(2回)
●1981年……松田聖子(40回)、河合奈保子(15回)、伊藤つかさ(7回)
●1982年……松田聖子(39回)、河合奈保子(24回)、柏原よしえ(17回)
●1983年……松田聖子(41回)、中森明菜(41回)、河合奈保子(25回)
●1984年……松田聖子(37回)、中森明菜(37回)、小泉今日子(29回)
●1985年……中森明菜(39回)、菊池桃子(22回)、小泉今日子(19回)
なんといっても、松田聖子の女王っぷりがスゴい。「アイドル黄金時代は松田聖子のデビューによって始まった」といわれるように、1980年7月に発売された2枚目のシングル『青い珊瑚礁』が3週連続1位を獲得、その次の作品『風は秋色』も4週連続第1位と立て続けにトップを獲った。
そこに待ったをかけたのが、“花の82年組”の代表である中森明菜。1982年12月から1983年2月にかけて『セカンドラブ』が8週連続第1位を獲得。また、3月から5月にかけて『1/2の神話』が7週連続1位。さらに『禁区』が6週連続1位を獲った。
そこから聖子&明菜による首位争いのデッドヒートが始まったが、1984年には小泉今日子が『迷宮のアンドローラ』や『ヤマトナデシコ七変化』で1位を獲得。一気に登場回数トップ3にまで上り詰めた。
また、堀ちえみがドラマ『スチュワーデス物語』で大ブレイク。加えて84年デビューの菊池桃子や荻野目洋子らの新人も注目されて、この時期、80年代前半デビューのアイドルたちは絶頂期を迎えた。
そして1985年以降は、おニャン子クラブが台頭。社会現象にもなるほどのブームを巻き起こし、1988年にはついに中森明菜を抑えて工藤静香が年間シングル売り上げ6位にランクインするなど、80年代後半のアイドル業界は“おニャン子一色”という状態になった。
ちなみに1989年の『ザ・ベストテン』登場回数トップ3は、Wink(34回)、中山美穂(23回)、工藤静香(23回)。10年経っても、まだまだアイドル黄金時代は続いている。
若い世代にはピンと来ないかもしれないが、80年代のアイドル界は、現在に負けず劣らず激しい“アイドル戦国時代”だったのだ。
(取材/村上隆保、浜野清史)
■週刊プレイボーイ50号「16ページ特集 80年代アイドル総選挙」より 【関連記事】
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