日本でもしばしば話題になるアメリカの「銃規制」問題。オバマ大統領は選挙公約にも掲げていましたが、なぜ、この問題は遅々として進展しないのでしょうか?
アメリカで暮らし、テレビや新聞、インターネットでニュースに接していると、しばしば「銃」に関する事件を目にします。高校で生徒が銃を乱射した。子供が誤って銃を暴発させ家族が犠牲になった。こうした一報に触れるたび心が痛みます。
オバマ大統領は選挙公約で「銃規制」を掲げ、当選後も悲劇的な事件が起こるたびにメッセージを発していますが、残念なことに、現時点では銃規制関連法案が成立するような気配は一向にない。現実的に見て、オバマ大統領の任期中に市民社会から銃が一掃される可能性は極めて低いでしょう。
その理由としてよく言われるのは、政治家と太いパイプのある大企業や利益団体が、銃規制の議論に圧力をかけているという話。もちろんそれもあるでしょうが、ぼくの皮膚感覚をもとに誤解を恐れず言えば、どうもアメリカ社会そのものが「銃は持ってしかるべきだ」と許容しているような気がしてなりません。
キーワードは“自由”です。
アメリカで暮らす多くの人々は、アメリカ社会の最大の魅力は「自由であること」だと信じている。極端に言ってしまえば、銃はその象徴でもある。いわく、自由を守るため、自分を守るため、われわれには銃を持つ権利がある。銃規制の議論がアメリカ国民の間でそれほど盛り上がらないのも、“自由”という根本的な価値観を傷つけられるのが怖いからなのだと思います。
自由を守るためなら、人命を脅かすようなリスクも受け入れる―。こういった価値観は、日本や中国で暮らしていてはなかなか理解しづらいかもしれません。
ハーバード大学においても、銃規制に関するディスカッションは頻繁に行なわれていますが、決定的な答えに至ることはありません。というより、ぼくの経験上、アメリカ社会に関する議論のほとんどは結論を見ない。これはおそらく、“自由”というキーワードが多くのエクスキューズを生んでいるからではないでしょうか。
自由といえば先日、ぼくの所属するケネディスクールでこんな事件がありました。あるアメリカ人学生が移民政策について書いた論文に、次のような記述があったのです。
〈IQの低い人間が国内に大量流入してくると、アメリカの移民政策は確実に失敗する。調査の結果、アジア系のIQは高く、ヒスパニック系は低いと出ている〉
当然、ヒスパニック系やラテン系の学生や学者の多くは「人種差別だ」と反発した。しかし、ケネディスクールはこれを論文として認め、当事者に博士学位を与えた。たとえ議論を呼ぶ内容であっても、裏づけのあるデータをもとに書かれたものなら、それは法的に咎められるものではない。言論・学問の自由のもと、論文として取り扱う―というわけです。
アメリカという国は世界中のどこよりも多様性に富んでいます。例えばレストランで食事をするという、日本人からすれば「ただそれだけのこと」であっても、多種多様なバックグラウンドを持つ人々が混在しているアメリカでは、すぐに「あれは食べられない」といった問題が生じる。言うなれば“あらゆる摩擦が発生する社会”。その背景には、国家としての歴史が浅く、移民に頼らなければ社会の発展を維持できないという事情があります。
だからこそ、アメリカにはあらゆる人々を結びつける“自由”という大義名分が常に存在する。“自由”に依存することで、初めてアメリカ社会は機能するのかもしれません。
自由という名のもとにはびこる暴力。しかし、アメリカにとってその“自由”とは、かくも特別な価値観でもある。オバマ大統領も分厚い壁にはね返されそうな銃規制問題、解決の妙案があるなら逆に教えて!!
今週のひと言
アメリカが銃を規制できない理由は、
「“自由”への依存」にあります!
●加藤嘉一(かとう・よしかず)
日本語、中国語、英語でコラムを書く国際コラムニスト。1984年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学、同大学国際関係学院修士課程修了。2012年8月、約10年間暮らした中国を離れ渡米。現在はハーバード大学ケネディスクールフェロー。新天地で米中関係を研究しながら武者修行中。本連載をもとに書き下ろしを加えて再構成した最新刊『逆転思考 激動の中国、ぼくは駆け抜けた』(小社刊)が大好評発売中! 【関連記事】
・加藤嘉一「『民主主義』と『愛国心』という、一見相反する要素がアメリカでは両立しています」
・加藤嘉一「アメリカは“世界一大きな発展途上国”なのでしょう」
・TPP交渉で日本がアメリカにつけこまれた理由
・オバマ大統領による金融規制の強化で外資系金融は終わる?
・東京五輪のライバル、トルコのデモはなぜ起こったのか?
アメリカで暮らし、テレビや新聞、インターネットでニュースに接していると、しばしば「銃」に関する事件を目にします。高校で生徒が銃を乱射した。子供が誤って銃を暴発させ家族が犠牲になった。こうした一報に触れるたび心が痛みます。
オバマ大統領は選挙公約で「銃規制」を掲げ、当選後も悲劇的な事件が起こるたびにメッセージを発していますが、残念なことに、現時点では銃規制関連法案が成立するような気配は一向にない。現実的に見て、オバマ大統領の任期中に市民社会から銃が一掃される可能性は極めて低いでしょう。
その理由としてよく言われるのは、政治家と太いパイプのある大企業や利益団体が、銃規制の議論に圧力をかけているという話。もちろんそれもあるでしょうが、ぼくの皮膚感覚をもとに誤解を恐れず言えば、どうもアメリカ社会そのものが「銃は持ってしかるべきだ」と許容しているような気がしてなりません。
キーワードは“自由”です。
アメリカで暮らす多くの人々は、アメリカ社会の最大の魅力は「自由であること」だと信じている。極端に言ってしまえば、銃はその象徴でもある。いわく、自由を守るため、自分を守るため、われわれには銃を持つ権利がある。銃規制の議論がアメリカ国民の間でそれほど盛り上がらないのも、“自由”という根本的な価値観を傷つけられるのが怖いからなのだと思います。
自由を守るためなら、人命を脅かすようなリスクも受け入れる―。こういった価値観は、日本や中国で暮らしていてはなかなか理解しづらいかもしれません。
ハーバード大学においても、銃規制に関するディスカッションは頻繁に行なわれていますが、決定的な答えに至ることはありません。というより、ぼくの経験上、アメリカ社会に関する議論のほとんどは結論を見ない。これはおそらく、“自由”というキーワードが多くのエクスキューズを生んでいるからではないでしょうか。
自由といえば先日、ぼくの所属するケネディスクールでこんな事件がありました。あるアメリカ人学生が移民政策について書いた論文に、次のような記述があったのです。
〈IQの低い人間が国内に大量流入してくると、アメリカの移民政策は確実に失敗する。調査の結果、アジア系のIQは高く、ヒスパニック系は低いと出ている〉
当然、ヒスパニック系やラテン系の学生や学者の多くは「人種差別だ」と反発した。しかし、ケネディスクールはこれを論文として認め、当事者に博士学位を与えた。たとえ議論を呼ぶ内容であっても、裏づけのあるデータをもとに書かれたものなら、それは法的に咎められるものではない。言論・学問の自由のもと、論文として取り扱う―というわけです。
アメリカという国は世界中のどこよりも多様性に富んでいます。例えばレストランで食事をするという、日本人からすれば「ただそれだけのこと」であっても、多種多様なバックグラウンドを持つ人々が混在しているアメリカでは、すぐに「あれは食べられない」といった問題が生じる。言うなれば“あらゆる摩擦が発生する社会”。その背景には、国家としての歴史が浅く、移民に頼らなければ社会の発展を維持できないという事情があります。
だからこそ、アメリカにはあらゆる人々を結びつける“自由”という大義名分が常に存在する。“自由”に依存することで、初めてアメリカ社会は機能するのかもしれません。
自由という名のもとにはびこる暴力。しかし、アメリカにとってその“自由”とは、かくも特別な価値観でもある。オバマ大統領も分厚い壁にはね返されそうな銃規制問題、解決の妙案があるなら逆に教えて!!
今週のひと言
アメリカが銃を規制できない理由は、
「“自由”への依存」にあります!
●加藤嘉一(かとう・よしかず)
日本語、中国語、英語でコラムを書く国際コラムニスト。1984年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学、同大学国際関係学院修士課程修了。2012年8月、約10年間暮らした中国を離れ渡米。現在はハーバード大学ケネディスクールフェロー。新天地で米中関係を研究しながら武者修行中。本連載をもとに書き下ろしを加えて再構成した最新刊『逆転思考 激動の中国、ぼくは駆け抜けた』(小社刊)が大好評発売中! 【関連記事】
・加藤嘉一「『民主主義』と『愛国心』という、一見相反する要素がアメリカでは両立しています」
・加藤嘉一「アメリカは“世界一大きな発展途上国”なのでしょう」
・TPP交渉で日本がアメリカにつけこまれた理由
・オバマ大統領による金融規制の強化で外資系金融は終わる?
・東京五輪のライバル、トルコのデモはなぜ起こったのか?