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織田信長、徳川家康がもしも日本の経営者だったら

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織田信長、徳川家康がもしも日本の経営者だったらどんな経営者のタイプなのでしょうか? 



■信長はホリエモンタイプの経営者
織田信長は、ある日突然クビにされるかもしれないが、楽しく一緒に仕事をやれる経営者です。若いころから、家臣や庶民と一緒に踊って騒いだりするのが好きな社内パーティー好きな経営者とも言えます。滋賀県の近江八幡市に、左義長という祭りがあり、男性も女装して踊るのですが、これは安土城下で信長自身が参加して始まった祭りなのです。また、宣教師が伝えるには、織田信長の声は甲高かったといいます。

ところが、信長の晩年、柴田勝家と並ぶ老臣だった佐久間信盛が追放され、高野山に上って剃髪しますが、そこも追い出され、熊野で貧窮のうちに死ぬ事件もありました。こうなると、明日は我が身かと家臣たちに疑心暗鬼が生じます。それが、明智光秀の謀反原因の一つだったのではないかと言われています。

■家康は福利厚生重視の日本的経営者
江戸幕府を作った、徳川家康は、部下にとって面白いことはありませんが、ひたすら真面目に働けば見返りが生じる日本的経営者です。信長や秀吉に比べて、家康が家臣たちに与えた禄高はかなり低いです。譜代大名で最高なのは、彦根藩井伊家の三五万石で、井伊家は遠江の名族で三河武士ではなく別格でした。その他では、最高で一五万石あたりが限界でした。

そのかわり家康が手厚かったのが、戦死者の遺族への待遇です。関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城での戦いで、あえて勝ち目のない戦をして時間を稼ぎ、討ち死にした鳥居元忠の嫡男を、一気に倍以上の石高の大名に昇格させました。家康のころの奉行やのちの老中たちも実は小大名ばかりです。外様だけでなく、徳川一族も石高が多いと権力からは遠ざけられました。彦根藩、会津藩などの中大名が相談役的に扱われ、とくに井伊の殿様は何度か大老にりました。そして、幕末の井伊直弼は、勘違いし、代表取締役会長のように振る舞ったので混乱が起こり、水戸・薩摩の浪士らに桜田門外で殺されてしまったのです。

どのようなお役目をもらってもほとんど加増はありませんでしたが、ワイロを得ることや交際費には寛容でした。給料は上げない代わりに、ワイロや交際費でカバーしたのです。

■あのトヨタも家康の経営を参考にしている!?
日本的な経営の典型といわれるトヨタが三河(豊田市)に本社を置いているのは偶然ではありません。日本の大企業では、工場労働者から社長までの給与格差が小さく、大卒総合職で50歳くらいならほとんど給与は変わりません。そのかわり出世コースに乗ると交際費を使ったり、中元やお歳暮がたくさんもらえます。これはまさに三河出身の徳川譜代大名に仕えるサラリーマン武士の世界そのものです。



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