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がん保険の歴史とアフラックが急成長した理由

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日本でのにおけるがん保険の発展の歴史は、アフラックという会社から始まりました。アフラックは1974年に日本で初めてがん保険を発売し始めてから、破竹の勢いで成長を遂げたのです。がん保険の歴史とアフラックが急成長した理由について紹介します。



アフラックの現状
アフラックのがん保険は、2012年3月末時点で、保有契約件数1283万件、新契約件数179万件と、契約件数では日系大手生保を引き離し、トップシェアを持ちます。保険料等収入は1.8兆円、基礎利益が2028億円、総資産は7.8兆円。全国では2万店の代理店で12万人を超える保険募集人が保険を販売しています。

がん保険の保有契約件数は1469万件。市場全体の1984万件に対して、シェアは74%という圧倒的な存在です。同社は戦後、国内でもっとも成功したベンチャー企業の一つであるとも言えます。

なぜアフラックは急成長したのか
アフラックが日本市場に進出したのは1974年のことです。当時は米国ジョージア州コロンバスに本拠を置く、中堅の生命保険会社でした。創業19年目、保険料収入は全米2000社中400位程でした。同社の参入が実現した時代背景として、日米の通商摩擦です。

米国からの高まる市場開放の圧力から、生命保険業界も無縁ではいられませんでした。国内では消費者運動によって「医療保険を単体で売ってくれ」との圧力が高まっていたことや、生命保険会社は疾病保険を特約でしか売っていなかったという事情もありました。

こうした背景から外資生保の日本進出が認められ、アフラックにはがん保険の販売について半ば独占的な地位が与えられたのです。

アフラックは開業当初から大躍進を果たしました。「5年間で50万口」というのが事業計画上の目標だったのに対して、発売数カ月で3万口を突破。5年が経過した時点でのがん保険の契約口数は180万口に達していたと言います。この成功の要因を考えると、これまで日本になかった商品や流通モデルを導入したことが大きいでしょう。

新しい流通モデル
高度成長期における生命保険の主流は、幅広い保障を提供する総合型の商品を、専属の営業職員チャネルが販売するという流通モデルでした。これに対して、アフラックはがんのみを保障する単品を、(潜在顧客としての従業員を持つ)企業代理店を活用して販売したという特徴がありました。

また、当時は「がん=死」というイメージがあり、国民のがんへの恐怖がありました。それにもかかわらず、それに対する特別な保障は国からも民間からも提供されていなかったのです。また、がんだけを保障するという商品設計にしたことで、申し込みや引受査定が簡易だったこともあります。会社が保険料の一部を負担する法人契約という加入形態によって、保険料収納がサラリーマンからの給与天引きだったことも高い継続率を可能にしたのです。



がん保険の歴史とアフラックは切っても切れない関係にあります。もっとがん保険のからくりを知りたい人は「がん保険のカラクリ(著:岩瀬大輔)」がおすすめです。がん保険の必要性や仕組みがわかります。

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